きぼうは遠い日のおもいで

目標はお酒を飲まないことじゃない

しらふの年末年始

去年の再断酒開始日だけは日付けをはっきり覚えています。1月10日。

12月からから再びの酒浸りになり、常にお酒を体に入れて生活していました。お酒を入れるとやる気が出る気がするんですよね。

で、勉強しないといけない時期だったので、朝からお酒を飲んで、さあ勉強始めるぞ!ってなっていました。

でも時間が経つごとに効率は悪くなり、最終的にはすすまないわけです。

にもかかわらず模試では学内1位になるので

やっぱりお酒を飲んで勉強するのは悪くないなと勝手に思い込むわけです。

そのあとやっぱりどうしようもなくなり、また朝に友達にお酒を飲んでいることを指摘され心配されはじめ、クリニックへ行き再び断酒しだしたのが1月10日。


しらふでの年末年始は、とにかく年末年始だと意識しないようにと生活です。

仕事に行きいつもと変わらない日中を過ごして、帰ったら寝る。

寝てる間に年は明けていました。

よかった、よかった。


ノックビン、毎日飲んでいます。

シアナマイドは冷蔵庫に入れたまま。よっぽどのときでいいかなと。

レグテクトはきちんと服用しています。

あとは朝はセルシン5ミリ。

夜はお酒を飲まない分、ドキドキザワザワがひどくなるときに、4ミリ服用しています。


ようやく眠れるようになってきました。

しかし身体のだるさ、昼以降の胃と足の浮いてる感じ、気分の落ち込みは続いています。


とにかくは1ヶ月です。

それから振り返って、また修正をして、次の1ヶ月に備えて。と進んでいければと。


しんどい。

とにかくしんどい。


気持ちがずっと落ち込んでいる。

素面の時間はきちんと自分と向き合っていこうと思っているので、逃げないぞと決めて、頑張ろうと思う。


だけど、やっぱり思考回路は訓練できていないから、まだ前のままだから、ひたすらしんどい。しんどいのは仕方がない時期だと言い聞かせているが、逃げたくなる。

かなり逃げたいので、とにかくノックビンを飲んで、酔いという逃げ場は自分でなくしていくようにしている。それだけで精一杯。


制服を着ているときはいいけれど

脱いだあとの素面の時間は厳しい。

しかもこういう時期に限って、しんどいなという事が起きたりする。


なんとか一か月頑張ろう。

ふと涙が出そうになって、いや、泣いてしまうときもあって、でも堪えよう。

診察のあとに考えたこと3

しかしながら

アルコールで酔いたいという欲求は強烈すぎる。毎日色んな場面で、ぶわっとあの感覚を思い出しては、どうしようもない。

しかもそれを手に入れられないと思うと悲しくて仕方がなくなる。それは自分の中でまだ酔いのリラックス感や解放感が何よりもの快楽には違いないからだ。


しかし今日は飲まないでいい日だ。

飲むのがだめなのではなく、必要ないのだ。

必要ないことをする意味はない。

そう考えて、お酒ではなくシアナマイドを飲もう。

診察のあとに考えたこと2

自分にシンプルに正直に問うてみてわかったのは、理由にしていたことの本来の問いかけをすることが全く欠けているということだ。


そして、それこそ私が最もしなければいけないことだ。そうしないと、結局何も解決しないし進まない。


「飲まない」という行動をするなら

→飲む

を自分から取り除かないといけない。


だから

先に

本来の→を思考する習慣をつけなければいけないのだ。




診察のあとに考えたこと1

診察のあと、私はシンプルな質問を自分に問いかけてみようと思った。



飲みたいのか?飲みたくないのか?


→飲みたい


やめたいのか?やめたくないのか?


→やめたくない


私は何をしたのか?

→飲んだ


なぜ飲んだのか?

→酔いたかったから


以上である。


これで私はハッとした。


それ以外のことはすべて附属物である。


恥ずかしいから

緊張するから

思い出したくないから

失敗したと思うから

→飲む

という思考をしていた。


本来は


恥ずかしい→なぜ恥ずかしいのか

緊張する→なぜ緊張するのか

思い出したくない→なぜ思い出したくないか

失敗したと思う→何をどうして失敗したのか


となるはずである。


どう考ても


→飲む


とはならない。


それに気がついてみれば、


飲むか飲まないか迷っている

本当は飲みたくないのに飲んでしまう

と葛藤をしているようでも、

実際は


飲まないかもしれない自分

飲みたくないかもしれない自分がいると

自分に言い訳をしていたのだ。


もう飲みたくない、やめたいというのは本心なのだけれど、したことをみれば、さらなる本心は

飲んで酔いたい

でしかない。


最終の→酔いたい→飲む という流れは

先に「すること」として決断していたのだ。


そう考えると、先生が原因を考えているうちはやめられないよと言っていた意味が少しわかったように思う。


再びの断酒。

今回は今までで一番しんどい。


眠れない日が続く。

でも仕事はいかないといけない。


そしてやたら気分が沈む。

仕事中にすごく悲しくなって泣きそうになる。頭がぼんやりして、気力が出ない。


今までのような爽快な気持ちにならない。

お酒を飲みたいとは思わないけれど、誰かにこの気持ちをただ聞いて欲しいけれど、話せる人がいない。



バリバリのアルコール依存症

と言われまして。

私、実は先生に直接アルコール依存症と言われたことはありませんでした。

社会不安障害のほうは何度も言われたけど、

処方は完全にアルコール依存症のものだけど、アルコールの問題について、断酒について何度も話をしたけれど、

直接言われたわけでない私は依存症まではいってない。依存はしてますが、病気まではいってません、って思ってました。問題バリバリにもかかわらず、です。


それで、今日は恥ずかしい気持ちで来ましたと言ってから、最近やばくなってきた酒量や飲み方を話してたとき、ふとやっぱり私依存してますよね〜ともらした私に先生が放ったのがタイトルの一言で。


かなりの衝撃でした。

問題飲酒はあるけど、仕事なくしてないし、問題意識はやめられないけど持ってるし、だいたいあんなに栄養不足で動けない身体や肝硬変とか糖尿病になってない。なる予感もない!とははっきり思っていた。


反面ですが。


止まらない

酔うためだけに飲む

朝から飲む

度数がどんどん高くなる

これで終わりができない


のがほんっとしんどかった。

近くに住んでる知り合い多いから昼はびくびくしながらお酒を買い出しに行き。

飲んで後悔。

でもまた酔いたい。日中も頭はアルコールのことで占めていく。


なぜだ!!

どうしてこううまくいかない!


と心底思っていたので


先生にバリバリアルコール依存症と言われたときは

なぜかすごくすごくほっとほっとした。

清々しさまで、あった。


そりゃ無理だよね!!

んじゃ

またやめてみようかな〜って、自然に思って。


これが今日の診察。


全部で30分くらい?あとの患者さんには申し訳ない。

思わず「長々とすいません。」と先生に。


それと

ほんと色々質問しまくり、

たくさんのヒントをもらい、

めちゃぐちゃ勉強になって嬉しくて最後に

「来てよかったです。」と口をついて出た。


先生は笑顔だった。

いや〜今日は仕切りなおしに

もってこいの日だ!!

先生ありがとう。がんばるぞ。


本日は

とにかくがっつりかためるために

シアナマイド

ノックビン

レグテクト

やめるしかないのです。