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きぼうは遠い日のおもいで

目標はお酒を飲まないことじゃない

 

死にたいな。ほんと。

お酒を飲んで余計その気持ちが高まる。

親がいなければ死んでる。

生きているのは親のため。

なんでみんな生きていられるんだろう。

自分のためにがんばれるんだろう。

と思いながら20年になる。

 

自分はACみたいなんじゃないと思う。

でも小さいときの記憶は自分の今の感覚では虐待なんじゃないかな

って思うことばかりでそれを引きずっているのだなと思う。

愛されていたけれど愛された記憶は自分の中に蓄えられなかった、そんな感じ。

 

親には「色んなとこ連れていったのにそんなんばっかり覚えてるのか」と

うんざりされるけれど、自分でもうんざりする。

小さいころの記憶は全部俯瞰的。自分の姿を客観的に見ている。

 

私は食べるのが遅くて、食欲もあまりなかったので、小さかった。

背の順はいつも一番前。

食事、特に朝食時はある一定の時間がくると母親がキレるのが恒例。

私を立たせて頭に牛乳の入ったコップを傾けて私の頭が牛乳で白くなる。

私は泣きながら食パンを食べる。味なんてない、涙の味しかしないパン。

 

怒られるとベランダに出される。7階から「落とす」と言われて

抱えあげられて柵の外まで身体を出されて私は「ごめんなさい、もうしません」と泣いている。

食べるのが遅くて親にベランダに出されて裸足で泣きながら朝食を食べるのはいつものこと。

ある日、虫の居所が悪かったのか、特に怒った母親が前からどんどん近づいきて私は後退する。

私は後ろ向きなので思わず排水溝に足をとられて後ろに転倒する。

後頭部が傷つく。出血する。

母親がパニックになる。タオルを持ってきて私の頭に当てるとタオルが赤く染まる。

マンションの前が牛乳屋さんでその人に頼んで軽トラックで外科へ行く。

・・・その後の記憶はない。

ただそのときの母親の焦り様と血で染まったタオルは鮮明に思い出せる。

思い出すなんてなければいいのに。

思い出すと自分のことというより、その子を俯瞰的に見る場面で、とても客観的で「あの子はかわいそうだな」と思って泣ける。

自分のことっていう感じじゃなくて。

 

あと中学のときの記憶はほとんどないのに

ある一部だけ覚えている。

下駄箱の前の階段で友達に両手を広げて無防備な表現をして

「私は今死んでもいい。誰か今私を刺してくれればいいのに」

って言った。そこまでの流れは覚えていないのだけれど。

とにかく、そのときの友達は「え・・・」ってすごく驚いていた。

 

私にとってはそれが普通だったから逆に「え。そんなびっくりすること!?」って

なった。だからその場面だけ強烈に覚えている。

 

私は友達と話していても、自分のこれまでの記憶がいかに薄いかといつも

実感するほど過去の記憶がない。

でも中学生のころから常に「死んでしまいたい」って気持ちがあったことだけは

わかる。

それで同性愛者なんだなってわかってもっと死にたくなって

でもがんばろうって思いながらここまではきた。

 

あまりにも友達に引かれそうで口に出したことはないけれど

看護学校に入るまえに考えていたのは

「何か資格でも取り、親を喜ばせて死のう、

学校を3年で卒業するから、あと3年でキリがいいとこにくるな」

ということ。こればかり入学前は考えていた。

 

今はどうなんだろう。

精神の授業なんてほんっと興味なくて寝ていたのに(いつも前日の飲みすぎ)

T先生になんとなく「この人なら」って相談して、先生のクリニックへ通って

抗酒剤のんで一時期お酒のないとてもさわやかな毎日を過ごしたけれど

また舞い戻ってしまったな。

でもお酒を一時的にSTOPして

だいぶ精神的に落ち着いてって自分で感じる。

感覚的なものだけれど、中学から20年近く続いていた「死にたい」って気持ちがすごく和らいだ。

「死にたい」はあるけれど。